2010年03月05日

龍馬伝観てます?

皆さん
大河の龍馬伝観てます?

元々幕末物は大好きなんですが
千葉道場の話とか観ていてワクワクしますね
若い龍馬が常に葛藤を繰り返し
成長していく過程が良いです。

てなわけで今日のイラストは剣道小僧です。
img005.jpg
タグ:龍馬伝
posted by tatsuya at 17:17| Comment(0) | 大河ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月17日

龍馬伝の人々について その1千葉佐那

sana.jpg

山梨のデパートで四国・中国地方の物産展があり
昨日はその撤去のお手伝いに行っておりました。
物産展には四国高知のヒーロー坂本龍馬のパネル展示があり
更に甲府に縁があるというか・・・
お墓がある千葉佐那さんのコーナーが
ありました。
龍馬と佐那は婚約をしていたが幕末の動乱が故に
運命から引き剥がされたのであるが

「世が太平の世であったら二人で道場をやっていたでしょうね」

そんな事を晩年に佐那さんは語ったらしい

小説や映画に出てくる佐那さんは凛として物静かで堂々としている。
そんな佐那さんが晩年にもらしたそんな言葉は
龍馬への切ない想いが出させた一言だったのでしょうね・・・

甲府市清運寺にある千葉佐那さんの墓には坂本龍馬室と刻まれている。

そのお墓は剣道の上達を願ってお参りに来る人が絶えず
女子剣道の大会では千葉佐那杯という敬意ある大会がある。
この大会に出てくる剣道女子は皆、凛とした雰囲気があり
平成の千葉佐那さんが大勢いるのである。
皆、かっこいい。




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2010年06月19日

龍馬伝の人々について その2岡田以蔵

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「龍馬ー!りょーまー!」
悲痛な声で絶対無比の唯一人の友の名前を叫ぶ
土佐勤皇党の崩壊という地獄の門が開きそこに
ひきずりこまれる時、
岡田以蔵は龍馬の名前を叫び続けるしかなかった。

岡田以蔵という人は馬鹿だ。
武市瑞山の口車にのり人切りとなり京都の路地裏に潜み
人きり以蔵の名前は幕末の世を震え上がらせた
そんな中やはり武市に命ぜられ勝海舟暗殺に赴いたが
今度は龍馬に言い包まれ海舟の護衛になっている。
・・・・馬鹿だろう・・・・
しかし、文久3年3月寺町通りで海舟を
3人の壮士が襲ったのだが、そのうちの一人を
以蔵はなんなく真っ二つにしてしまい残り二人は逃げ去った。

「ひとを殺す事をたしなんじゃいけねよ」

と諭す海舟に対して

「わたしがいなかったら先生の首はなくなっていましたよ。」

以蔵の言葉に海舟は一言も話せられなかった。

馬鹿なのだが何か憎めないというか・・・
不思議な人物なのである。

以蔵さん役の佐藤健くんは電王の頃から器用な役者さんだと
思っていた。これからも色々な役を演じ分けて楽しませて
貰いたいと思う







posted by tatsuya at 06:47| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 大河ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月03日

龍馬伝の人々 そのB 勝麟太郎

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万延元年
咸臨丸に乗り日本人初の太平洋横断の一団を指揮した
知行千石取り軍艦奉行並、幕臣 勝麟太郎
幕府きっての進歩主義者で後々に龍馬の思想に深く根付いていく
勝がいなければ龍馬はおそらく愚馬のままだったろうと思う
人の出会いが絆を生み出しその人の中に切っ掛けを生み出す。
あとはその切っ掛けを受け入れ一歩足を生み出す事で
道は開かれて行くのである。

私にも切っ掛けになった人がいるし、
逆に切っ掛けになってくれた人もいてくれると嬉しい

龍馬と勝はそんな関係なのである。
龍馬亡き後、海舟は江戸城を明け渡せと迫る薩摩に対して
龍馬の意思を継ぐかのように西郷と対談して
江戸城を無血開城へと導いている。
人の出会いと別れは時として必然なのかもしれないが
絆や想いは延々と繋がり紡ぎ出されてやがて形となっていく
それは共に居れなくとも
魂(spirit)はきっと、どこかで繋がっているという事なのだ。



posted by tatsuya at 07:54| 山梨 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大河ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月07日

義高と大姫

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父は源頼朝、母は北条政子。
大姫は長女の意味だが
名前に反して病弱で儚げな娘だった。

寿永2年(1183年)春、
頼朝と対立していた源義仲は、
人質として当時11歳の清水冠者義高を、
表向き当時6歳の大姫の婿とする事で
鎌倉に送り込んだ。

しかし大姫は義高の事を好きになり
その小さな恋は鎌倉の花の様に可愛らしく咲いたのだが

翌年の元暦元年(1184年)頼朝と義仲の関係は破局し、
正月、義仲は頼朝の送った軍によって都の郊外で敗死。

同年4月21日、頼朝は将来の禍根を断つべく
義高を亡き者にする事を決める。
それを漏れ聞いた侍女たちから知らせを受けた大姫は、
明け方に義高を女房姿にさせ用意した馬で
鎌倉から脱出させる。
・・・が夜になって事が露見、
頼朝は激怒して、堀親家以下軍を各所に派遣、
義高を討ち取るように命じる。


4月26日、親家の郎党である藤内光澄が鎌倉に戻り、
入間河原で義高を討ち取った旨を報告する。

この事は内密にされていたが、大姫の耳に入り、
悲嘆のあまり水も喉を通らなくなる。

大姫の心の傷は深く
その後十余年を経ても
義高への思いに囚われ
床に伏す日々が続き回復する事なく

建久9年(1197年)7月14日、大姫は20歳で死去した。

この二人の物語は頼朝と政子の関係、
やがては義経との関係をも狂わせる原因のひとつになり
鎌倉幕府の根底を覆す事になっていく

この離れ離れにされた小さな恋の物語は
数ある源平時代の恋話の中でも
私が一番、気になる。
真実の物語。

きょうは七夕なので織姫と彦星を描こうかと思ったが
それは山梨県立美術館と文学館にイベント展示してあるので

同じ離れ離れの恋物語ならばと、
義高と大姫の絵にしました。

本当は春に鎌倉に行った時の記事にと思ってたけど・・・
タイミング逃していたのでせめて七夕の夜にでも
義高と大姫が巡り逢えたらと、いう事で本日のイラストに

義高と大姫のお話でおすすめ本
「ひとさきの花」藤野もやむさん著 (マッグガーデン 雑誌53933-12) 

                泣けるよ〜!

posted by tatsuya at 07:22| 山梨 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 大河ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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